西森英行

Innocent Sphereは、1997年の3月、
早稲田高校のホールで「MISTRAL」を上演し、旗揚げしました。
正確には、1994年秋、早稲田高校の同学年メンバーで上演した、「アルルカンは夕暮れの風船を揺らして」という作品で、「イノセントスフィア」として生まれました。
高校の教室で胎内に生を受け、約2年半後に、劇団としてスタートした、ということになります。


初めて女性メンバーが加入して、なんだかそわそわが止まらなかった旗揚げから始まり、
早稲田大学の伝統ある演劇サークルに出入りしてはそのノウハウを学び、
様々な演出家、脚本家、俳優さんに教えを乞い、
時にはヒューマンドラマ、時にはアクションエンターテインメント、時には心理密室劇と、
節操もなくあらゆるジャンルに手を伸ばし、
その都度、劇団員同士、ぶつかりあい、励まし合い、切磋琢磨しながら、
ここまで、団体としてやって来ることが出来ました。


20年。
産声を上げた赤ん坊が、成人する年。


劇団というものは、そもそもこの資本主義的な社会に、真っ向から逆行する集団です。
膨大な時間と手間がかかる稽古。
完成度を求めれば、働く時間もままならず。
潤沢な資金などあるはずもなく、公演が赤字になれば解散騒動。
濃密なだけに一度衝突すれば激化する人間関係の軋轢。
作品の方向性や演技の嗜好、目指す生きる道の相違。
家族や仕事と、演劇活動の両立の苦悩。
挙げればきりがない、まこと非効率な人間のるつぼ。
それが、劇団というものです。


こうした劇団の泥臭さを毛嫌いする風潮もありますが、
そもそも一点の曇りなく健康的なばかりの劇団などあるわけがなく、
どんなに華々しいと見られている劇団にも、
少なからずこうした、泥臭く、悶々とした、人間的な過程があるものです。


ではなぜ、そんなに苦労の絶えない道を歩み、劇団を続けていくのか。
それは、
そこに「タマシイ」が息づいているからです。


一度、おぎゃあ、と産声を上げた劇団は、
目に見えない何かを、育み続けています。


集団によって形作られるもののありようは、
人の肉体や精神が進む過程ととても似ていて、
その時に摂取した栄養分や、
出会いによって与えられたものや学んだことと同じように、
様々な他者によって作られ、
時と共に絶え間なく、変化を続けていきます。


所属した多くのメンバーとの出会いと別れ、
そのなかでぶつけ合って鍛え上げられてきた幾つもの思い。
妥協なく力を尽くしてくれるスタッフ、ゲストの皆さんの志。
そして、多くのお客様からの応援や叱咤。
そうした様々な力によって、
「タマシイ」を育んでもらっている。それが、劇団です。


その「タマシイ」がやがて、
葦のようにしなやかで、嵐や業火にも揺るがない、
シンプルな「思い」そのものになって、独り歩きを始める。
「バラと呼ばれるあの花は、ほかの名前で呼ぼうとも、甘い香りは変わらない」
とジュリエットが語ったように、力強く歩み出していく。
Innocent Sphereは、20歳。そんな自立の時を、迎えています。


演劇は肉体の芸術であり、
劇場で体験するその時間と空間は、二度と繰り返すことが出来ない。
けれど、だからこそ、そこで体感する一瞬の鮮烈、豊かな情感を突き詰めていきたい。
それが、時と共に変わり続けてきたこの劇団の、
産声を上げた時から変わらぬ、信条なのだと思います。


20年という節目に立って、
多くの皆さんに育んでもらった「タマシイ」が、
胸を高鳴らせ、まだ見ぬ未来を見つめている、そんな息遣いが聞こえます。


InnocentSphereは、
20年を迎えて、強靭な一歩を歩み始めました。
これからも、このささやかな、けれど願うことをやめない「タマシイ」が、
皆さんに寄り添い、そのこころと交わる。
そんな時間を共有していけることを、心から願ってやみません。


西森英行